2011年7月15日金曜日

3.11 発災時

その時、私は病院のオペ室にいました。
3人の病院実習中の薬科大学生のオペ室見学中。

開腹した患者さんの腫瘍を切除し始めた頃、
一人の看護師が「揺れてる…」とつぶやきました。

その後揺れは徐々に大きくなり、
閉じ込め防止のためオペ室の扉を開き、
無影灯を患者さんの上からどかし、
倒れそうなもの落下しそうなものを
各スタッフが抑えていました。

揺れはなかなか収まらず、
尋常ではない事態が起きていることだけは理解できました。

学生を動揺させないため
「この病院は免震構造だから、
この程度の揺れでは崩れることはないよ」
と言ってはみたものの、
学生にとってどの程度の気休めになっていたのかはわかりません…

揺れが収まってくると
執刀していた医師たちは「オペ、再開していいのかな…」
と戸惑っていましたが、
そこに「○番、再開しました」という声が聞こえてきました。

隣のオペ室の○○医師が早々にオペを再開したようです。

その声に促されるように私たちが見学中だった部屋でも
オペが再開されました。

ナースステーションに行き、インターネットをチェックすると
DMATの自動待機基準である震度6弱以上の
揺れを観測していることが確認できました。

オペ着を着替えて病院の第1会議室にいくと
すでに『DMAT本部』が設置されており、
多くの職員が複数回線ある災害時優先電話や
EMISを使用して情報収集・発信を行っていました。